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    手引書

    行動や方法論を示した手引書やマニュアルは、状況に即してどのように対応すべきかを説明したもので、これは所定の社会や組織(企業などを含む)における各個人の行動を明文化して示し、全体に一貫性のある行動をとらせるものである。

    組織が巨大化すると構成員の数も増え、相対的にそれらの対応は無視できないコストを発生させる。その構成員の各々が自身の役割を理解している必要があり、これらを個別に口頭で言い聞かせて訓練し、所定の役割を行わせることは労力が必要ともなる。これを補助し労力を軽減させるのが手引書の文章である。組織内での行動が状況に応じてまとめられており、最初はその都度参照し、それらはできれば暗記し従うことが求められる。

    これら手引書やマニュアルは様々な状況を想定して、それらの状況に対応する方法を示したものであるが、往々にして想定外で記載されていない現象も発生する。この場合にマニュアルは全く役に立たなくなるため、問題解決のための手段として組織の統率者(または責任者)がその都度判断し個別に指示を行うなどして対応するが、優秀な手引書の場合はそういった漏れ落ちが少ない。組織に柔軟性をもたせる場合には、事細かに規定が存在すると実際の状況に合った活動に制限が発生し、かえって邪魔になることもあるため、あまり細かく定めないケースもある。

    似たような「予め想定して明文化しておく文章」にはガイドラインが存在する。ただしこちらは状況への対応方法が列挙してある訳ではなく、所定の状況における考え方を予め指し示しておくという性質があり、これは手引書のように状況ごとに予め定められた行動のみに限定する性質は無い。手引書の場合は具体的な行動内容が示されているため、理解が容易く従い易いが想定外の状況に対応させ難く、ガイドラインの場合は考え方や理念という抽象的概念を理解しなければならないため扱いが難しいが、想定外の状況には類似する部分から類推して対応できるなど柔軟性がある。

    マニュアル本

    書籍のジャンルとして、所定の状況下における対応をまとめたものがみられる。俗に「ハウツー本」とも呼ばれるこれらの書籍は、一般の者がそう頻繁に直面する訳ではないが、いざ直面したときには適切な対応が求められる事態において、どのように対処すべきかが書かれている。

    よく見られるものでは、就職における面接や新入社員として就労する際に、あるいは冠婚葬祭といった「人生の節目」における立ち振る舞いや関係各所への連絡方法などの対応や心構えを示したものがあり、またサバイバルのような特殊な状況下における生存手段などもアウトドアの範疇で見られる。より俗なところとしては、デートにおける「相手の関心を惹く方法」などというものも(雑誌の付録的なコーナーを含め)見出せる。

    これらマニュアル本は前述の通り「経験不足を補うためのもの」であるが、これらマニュアル本にしても後述するように「考えが伴っていない」と批判される要素を含んでる。ただ、それを差し引いても「のっけから非常識な行動で台無しにしてしまう」ような事態を回避するのには有効な手段ではあるため、実用向けの知識を収めた書籍の中では少なくない範囲を占めている。

    マニュアル人間

    マニュアルないし手引書は、想定された事態とその対応が適切かつ必要十分であれば、これに従う者を無知で訓練されていない者から熟練したといわないまでも、ある程度は適切に事態に対応できる者へと押し上げることが可能である。その一方で、これらに記載されていない事柄についてはきちんと訓練され事態に対応できる(考えが伴っている)者は、様々な事態に対応可能である(応用が効く)が、マニュアルや手引書に従うばかりで考えが伴っていない場合には、それらに掲載されていない事態には対応不能であったり、不適切な対処をしてしまうこともある。これを揶揄して「マニュアル人間」(「手動人間」という意味ではない)と表現することがある。

    文化によっても異なり、例えば、飛行士の文化の違いを喜劇にした1965年の映画『素晴らしきヒコーキ野郎』のドイツ代表は致命的な事故の最中にもマニュアルを読もうとする場面がある(あくまでステレオタイプの国民性だが)。

    日本では1977年に望月照彦乱塾時代に育った若者世代を「マニュアル世代」と呼んでいた。

    その後、1980年代には指示待ち人間という言葉も登場して学校教育における管理教育詰め込み教育が見直されるようになり、ゆとり教育の時代へと突入することとなる。